時計が、技術信仰ではダメだと教えてくれる

マーケティング小話

男性にとっての時計は、女性にとってのジュエリーと同じだと言われる。

女性にとってのリング、ネックレス、イヤリングなどは

男性にとっては、時計に集約される。

もう古い、と言われるのかもしれないが

男性は、時計と靴、あるいは車には、お金をかけておいた方がいい

なんて、昔はよく言われたものだそうだ。

実際、いまでも、30歳以上になれば

男同士で時計をチェックし合って、張り合うことは、よくある光景だ。

(業種、業界によるところは大きいかもしれない)

時計のブランドは、世界に無数に存在するが

圧倒的に「Made in Swiss」が支配している市場となっている。

世界3大ブランドと言われるPatek Philippe、Vacheron Constantin、Audemars Piguet

続くBreguet

定番人気のRolex、Omega、Tag Heuer

通を唸らせるJaeger-Le Coultre、IWC、Breitling、Zenith

個性派のFrank Muller、Hublot

すべてスイスのブランドである。

スイス以外となると、ドイツのA.Lange&Sohne、イタリアのPanerai

そして日本のSeiko、Citizenなど、一気にメジャーどころは限られてくる。

それほど「スイス一極」の市場構造になっている。

しかし時計というのは、考えてみれば不思議なプロダクトだ。

上記の何十万、何百万とするブランド時計は、基本的には機械式だ。

機械式ということは、どれだけ精度を高めていても、時間がずれる。

どのブランドも、かつては(いまでも)高度な技術力を売りにしていたが

1969年の「クォーツショック」で普及した電池で動くクォーツ式、

あるいは現在では100円ショップですら手に入るデジタル式の時計たちの方が

「正確な時間を確認・測定」することが可能になってる。

時計に対して「正確な時間を確認・測定」するという、機能的なニーズを求めれば

何十万、何百万の機械式時計よりも、100円ショップのデジタル時計の方が

確実にニーズを満たしてくれる。

それ以前に、スマートフォンさえあれば、問題は解決してしまう。

1969年、日本のSEIKOが世界初のクォーツ式腕時計「Astron」を発売すると

スイスの時計ブランド各社には、激震が走った。

時計業界に、機械式からクォーツ式への技術革新が発生したからだ。

実際、多くのスイス・ブランドは、売上を落とした。

ところが、スイス・ブランド各社は、機械式時計を捨てなかった。

技術革新を受け入れて、それまでの強みを捨て去るのではなく

時計の機能的なニーズ、以外の魅力のアピールに、これまで以上に注力した。

大人にふさわしい時計、ファッション・アイテム、ブランディング・ツール、

それは、あくまで機械式時計だと言い張り続けた。

あるいは、このときにSeikoがもっと巧みに、したたかに

クォーツ式時計のブランディングをしていれば、

Made in Japanが時計市場を支配できていたのかもしれない。

しかし、そうはならなかった。

腕時計は、技術革新をスルーして、ファッション・アイテムとしての

ブランディングの一点突破で、市場競争ルールを更新させないことに成功した。

時計市場において、もはや技術信仰は意味をなさない。

日本のSeikoが、ソーラー充電やGPS機能を必死に開発しても

時計市場のユーザーには響かず、競争に勝つことはできていない。

日本メーカーは必死に技術力を高め、機能性を追求しつくしたプロダクトを生みだす。

しかし、ブランディング、デザイン、広告、販売などを包括するブランド戦略において

上手くなく、したたかでなく、結局「ハイブランド」にはなれない。

それは時計のGrand Seikoしかり、車でいうところの

トヨタのレクサスやクラウンしかり。

バッグや財布といったレザー製品、アパレル、ファッション全般を見てみても

「最高品質」ではあったとしても、

「最高級」「ハイブランド」として世界で認知されている日本のブランドは、ほぼない。

分かりやすく言えば、「同じ金額を出すなら」

「Grand Seikoよりも、Rolex」

「レクサスよりも、メルセデス・ベンツ」である。

話をさらに広げれば、

日本のモノづくりが、世界で勝てなくなった理由は

技術力ではない。

売る力、伝える力、広める力である、マーケティング力による敗北だ。

だから、技術開発にやっきになっても現状打開には有効ではない。

その事実は、腕に付けている時計を見れば分かる。

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